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| 7-29-2003
[プロポーザル自慢]
ニコラスはとっくにどっか行ってしまったんだろうと思っていたら、先日ドアの呼び鈴がなるので、覗き穴から見てみるとニコラスだった。
何しろ、バンコックにはコインランドリーと言うのがほとんど存在しない。
二層式の洗濯機は大活躍なのだが、日本以外ではあまり馴染みのないモデルなので、外国人の面々は使い方が興味津々みたいである。 そんな訳で、彼のランドリーをする間、写真展の話。
Actionaidのデビッドさんがバンコックに戻ってきた。9月からは彼がアジア地区のエイズ関連の活動の一手を担当する事になるそうで、近々に会う事になっている。
もうすぐの事なのに、まだ場所が決まってない。現地に行ったら急いでいろんな所を回らなければ…。やっぱり、今回の写真展はより多くの人に見てもらわなければいけない。プノンペンのFCCにもまた資料を見せてみよう。 ようやく雑誌の件で企画書とポートフォリオ作りが終了し、亮君宛てに郵送も終了したし、またエイズのプロジェクトの準備にとりかかり始める。 ドクターのパソコンは千葉の女性が寄付を申し出てくれた。しかし、今、バンコックまで配達してくれる人を探している。8月6日頃までに、バンコックに来る予定の人はいないだろうか…。心当たりがあったら、連絡下さい。 journal=youme. |
| 7-26-2003
[るろうに]
そんな訳でマサさん出発しました…。 久々に完璧一人の生活で、色々と手付かずになっていた件を少しずつ片付けている段階。
さて、亮君が戻ってから、また雑誌プロジェクトの連絡事項が活発になって来た。いいサインである。構想的には秋冬頃には創刊出来るのではないだろうか?
最近、本当に日本の事が全くわからない。随分と日本のニュースも見ていない。随分前にNHKが見れなくなって以来になる。
でもそんな中で、この間まで放送されていたアニメで『るろうに剣心』と言うのがあったけど、これは面白かった。少年ジャンプで連載していた漫画だと知り、レンタルコミック屋まで行ってほぼ全巻読んでしまった程だ。(『ほぼ』と言うのは、悲しい事に無くされてしまった巻が何巻かあったので、読みぬけていたりする)
明治初頭。潰れかけの神谷道場に居候中の流浪人・緋村剣心は、実は維新派最強と恐れられた剣客「人斬り抜刀斎」だった。人を殺めた過去を悔やんで「不殺」を誓い、逆刃刀を愛用する剣心。全ての人を守ることはできなくても、せめて目に映る人たちの幸せをこの刀で守りたい――そう願って剣を振るう剣心だったが、その過去のため否応なしに大きな闘いへと巻き込まれてゆく。
…と、個人的な興味対象の幅の広さ(と言うより節操の無さ)の一部をご紹介しました。 さて、人とコラボレーションしてくと言うのは色々と難しい。
久々に一人…と思っていたら、ラオスから戻ってきたソテェープから連絡があり、彼が家にやって来た。奥さんのウサニーが来るまでずーっと、現在取り組んでいるあらゆるプロジェクトの事を話していた。 作品やその人のキャリアやポジションの前に『人間的魅力』があるから、一緒にやりたいと思うのであって、そうでなかったら、『私はやらないだろうな』と言う話をした。
9月にタイ国内の取材をする彼に同行する事になっている。彼の魅力はまだまだ掴みきれていないけれど、以前、『何故?写真をはじめたのか?』と尋ねた時、いつもは眉間に皺を寄せて気難しい顔をしている彼が、
『人間的魅力』っていうのは、どういう事を言うのか?うまく説明出来ないけれど、そういうときの一瞬の表情で、感じられるものだ。 journal=youme. |
| 7-20-2003
[3 days later]
そんな訳で、ニコラスとは久しぶりに会い、MKスキへ。
写真の展示について、見識の違いで意見が分かれた。
そんな訳で、私と友人のチャー(カンボジア系アメリカ人のアーティスト+日記にも度々登場+今月のムービーの叫び主)で、この夏プノンペンで計画している事がある。
今日は映画に…、見に行った映画の事についてはbbsの方に書き込みをしたので見て下さい。 それにしても、ラップトップパソコンの件でメールで連絡をくれていた伊藤さん。フリーのメールアドレスにメールが届いた知らせが家のメールに転送されてくるはずなのだが、時々うまく作動していない。今日たまたまフリーのアカウントにアクセスしたら、『バッタンバンの医師のパソコンについて』と言うメールが届いていた。着信が17日。そして19日にはプノンペンに向かう…とあって、急いでメールを送ったけれども、なんとも行き違いになってしまった。
journal=youme. |
| 7-19-2003
[日々のサイドストーリーは続いている]
日々のサイドストーリーは続いている。
そして、来客の日々は続いている。(重なる時は重なるものです)
先日知り合いになったドイツ人の学生ファビアンから連絡が来たので、夜家に来てもらった。
人とお付き合いする中でも、いろんな人がいるけど、やっぱり「この人なら」と思って、自分たちの知り合いだとか、仲間を紹介出来る訳で、誰でも彼でもに『行って是非現場を見てきて!』とは言わないのは勿論の事。
『ドイツは乗り継ぎでしか行った事ないけど、デザインやインテリアに興味がある人なら誰しもが憧れる『バウハウス』があるよね…』と言ったら、
昨日はアチェの友人が昼間に家にやって来て、夜は読売の奥村さんのお誘いで、おいしい手打ち蕎麦を頂いた。色々と話が広がるので、非常に楽しいひと時であった。 さて、プノンペンの取材を終えたニコラスがこっちに戻ってきた。
一方、亮君の写真展が明日から始まるという知らせと、サンフランシスコで出会ったテオが日本に行くというので、康さんと亮君をメールで紹介。亮君は電話で元気そうな声を聞かせてくれた。
マサさんは来週からカンボジアへ。今回の企画はどうなるだろうか?
journal=youme. |
| 7-17-2003
[サイドストーリー(かなりショッキングな出来事が起きていた)]
追伸:
今日で、カンボジアから来ていた友人が全員去っていった。
スセップ医師はバッタンバン州立病院の感染病棟で働く医師である。
見つかり次第、パネルディスカッション会場の事務局へ届けてもらう事になり、とりあえず日々はなんとか乗り切った。 パネルディスカッションが終了した日の翌日の11日。荷物が届けられたので、受け取りに行った。
恐らく、プノンペンで盗られて鞄だけカモフラージュの為にアメリカに送られていったのでは?と思えるのだけれど、新しく『盗難』扱いで航空会社にクレームした所、無くなった荷物は重さ1キロに対して最高20ドルまで航空会社が保障するのが通常だと言われた。現在も捜査は続けられてはいるものの、航空会社がどれ程まで真摯に対応してくれるのか分からない。 フランス人医師から譲り受けたというFUJITSUのラップトップコンピュータ。
非常にシャイで言葉少ななドクターは、滞在中、みんなに心配をかけまいと自分からこの問題を口にすることはなく、明るく振舞っていた。 タイを去る前日、戻ってきた鞄に帰り支度の荷物を詰め込んでいた時に、彼がコンピュータを入れていた破れたビニール袋(コンピュータだけが抜き取られて無かったが、袋だけは鞄に入ったままになっていた)を見つつ、「僕のコンピュータは友だちみたいなものだったから、いつもどこへ行く時も一緒だった。たった一日プノンペンに行く用事でも持っていっていたから…」と言った。 大切な友人から貰ったコンピュータ。彼にとって、どれ程愛着があって大切なものだったか…、そうして彼の様な無垢な人が被害に遭うと言うのがあまりにも無情である。 手荷物にしなかったという個人の責任も十分承知の上で、あえてみなさんにお願いしたい。
彼が持っていたコンピュータはFUJITSUのものでモニタが14inch、HDDが5GBで、それ以上のスペックは覚えていないとの事。
『うちにありますよ…』という方、メールでご連絡下さい。心よりお待ちしています。 photo=Masaru
Goto+journal=youme.
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| 7-10-13-2003
[サイドストーリー(二人のカンボジアの友人+スライドショーのその後の日々)]
それにしても、スセップ医師とアーティストのチャー。ずーっと、どこに行くにも4人で行動していたのだが、二人はここバンコックで初めて会ったにも関わらず、何故か漫才コンビの様で(大阪の阪神巨人みたいな感じ(ドクターは背が高く、チャーは背が低い))、しかも両人がボケ(ボケとツッコミのボケ役という意味あいでの言葉として使用)で、我々が突っ込みみたいな状態で、久しぶりに「おなかがいたい」状態で笑った日々だった。 ドクターは天然にユニークで、チャーはアメリカンブレンドされている為、ユニークさも強烈なものがある。今回アップしたムービーは昨晩(13日の晩)収録した。湧き上がってくる感情を抑えずに激しく露にする必要があるという事をチャーがドクターに説明している所である。 ドクターの天然ユニークに因んだエピソードをご紹介。 10日の朝、みんなで朝食をとりにレストランへ行った時のこと。私はパンケーキを注文し、目の前に座っていたドクターは麺を注文。
その後、日本レストランで冷たい緑茶を注文した時の事。グラスに氷の入った緑茶と、急須がサイドで運ばれてきた。
因みにチャーはゲイである。前回書いた男も女も関係なく…人として云々というのは、こういう所以であった。
11日は、締切りが近づいていた企画書を書き上げ、なんとか5時に出来上がりEMSで郵送。それまで、彼ら二人はリビングでくつろいでいた。
12日は朝からチャーの画材を買いに出かけ、彼らが王宮を見たいというので王宮へ。以前入った経験のある私は、入り口で彼らを待つ事にした。
雨の中、我々はその後シーロムへ。ナイトバザールを見ていたが、場所を変える事にして、ジャズバーの老舗「ブラウンシュガー」へ。丁度、ライブが始まる前に席につき、女性のボーカルの上手さに圧倒され+堪能して帰宅。 13日。日々の色々が蓄積して疲れが出ていた二人。チャーがダウンした為に、我々3人だけでウィークエンドマーケットへ。お昼過ぎには一度帰宅して、体調が少し良くなったチャーも一緒に、ドクターのリクエストだった「動物園」へと繰り出す。
この4人の面子。不思議なのだが、夏休みになると遊びに行っていた田舎の家で集う親戚の子どもとのひと夏の時間とみたいな感じで、それぞれ全くもって大人だし、人生の背景も違うし、職業や社会的立場(って何?っていう気がするけど)みたいなものも違うのだけれども、なんだか成立している。非常に不思議な経験だったし、普段はかなり厳しい仕事に向き合っているにも関わらず、楽しく多いに笑える時間も共有出来ると言うことは素晴らしい事だと思う。 今度の4人揃っての再会はバッタンバンか? 早朝、チャーはバスに乗りアランヤプラテートへと出発して行った。
追伸:
digital image+journal=youme. |
7-10(この間からの続き…)-2003
[きっと何か良い結果に繋がる]
センターに到着して間もなく、表の方から大きくガラスの割れる音が聞こえてきた。
その後、センターを見学させてもらったのだが、政府の病院と連携してホスピスを運営している。
ファーザーが近くに住んでいるカンボジア人の男性を通訳の為に連れてきてくれた。
さて、ファーザー・ジョーは英語とタイ語を交えて色々と話しをしてくれた。
とある実業家とファーザーが出会い、粗末な造りだったセンターが見違える様にうまれ代わったのは、つい最近の事だと聞いた。 10日。スライドショーとパネルディスカッションの当日。
財政的に全く余裕のない我々にとって、写真展を開催するという事はかなりの難題である。
コメントブックで頂いた感想から、今後も多くの人々に見てもらう機会があれば、きっと何か良い結果に繋がる方法と出会える様な気がした。
digital image+journal=youme. |
| 7-10-2003
[自由奔放と隙無くかっちりと隅々まで]
友人のチャーが陸路で来タイのはずが空路で到着したのが8日。現在、うちのカウチで居候中である。因みに、バッタンバンから来たドクターはうちの前のホテルに滞在中也。 つい先頃、友人のウサニーから聞いていた「ナショナルエイズセミナー」に朝から行く事にした。彼女は日系の企業で働くのを辞めて、現在CDC(Centers for Disease Control and Prevention)で働いている。9月の中頃から、彼の旦那さん=ソテェープ(写真家)の彼と私とで、The Asian Elephant Art & Conservation Project (AEACP)のツアーに同行するという話になり、彼のスライドを受け取るのも一つの目的であった。珍道中になりそうだけれども、日本語でのストーリーを担当して欲しいという事で、身近な所で白羽の矢が立ったのであった。
と、話はそれたけど、この話はまた詳細が煮詰まり次第、日記にも登場してくる事と思います。 さて、ナショナルエイズセミナー。
来年の7月には同じ会場にて世界エイズ会議が開催される。
午後から訪問する事になっていたマーシーセンター(スラム地区のエイズホスピスセンター)でナースをしているウサニー(上記ウサニーと奇しくも同名)と30分程話した。
12時を回ったので、マーシーセンターに引率しれくれるジィニーに連絡を入れ、3時に彼女のいるFCCTへ行く。
と、長くなりそうなので、また続きは後日…。 digital image+journal=youme. |
| 7-8-2003
[いずれかの後に]
いよいよピセッがカンボジアに帰る事になった前の晩、すなわち昨晩、映画に出かける事にした。プノンペンでも映画館が軒並み営業を再開し、映画の看板を描いてる人にも会ったりしたのだが、それでもハリウッド映画がロードショーされる事はない。 サイアムディスカバリーのゴールデンシートに招待したかったのだが、一人500バーツというのに諦めて、普通の劇場で見る事にした。一人140バーツ。見たのはチャーリーズ・エンジェルであった。
それにしても、息もつけない程のあの手、この手のシーンにあっと言う間に終わってしまった。
今朝早く、大雨の中、彼はカンボジアへと出発していった。 さて、取材に出かけていた亮君がマレーシア経由(ロンドン立ち寄り後)で日本に帰国と知らせてくれた。撮影はうまく行ったそうだ。暫く日記には雑誌の話を書いていないけれど、亮君の写真は多々差し替えが出て来そうだとの事だった。
この雑誌企画に参加する亮君を含む4人の写真家。それぞれ個性的で、魅力的だと思う。
それぞれ、ひけない部分を持っていながら、それでも一緒に何か創りだそうという気持ちを持っている。
journal=youme. |
7-5-2003
[真髄の写真]
そんな訳で、いよいよ写真展がオープン致しました。また機会が合う方は是非ご来場下さい。
金曜日の晩には、先頃肝臓ガンで亡くなったグレッグ・デービィスさんの写真展のオープニングに顔を出した。亡くなった知らせをメールで知らせてくれたピーター(アジアワークス)の文面からは、彼らがどれだけ親しい間柄であったかをとくと感じる事が出来、その事を彼に話した。「今晩は、僕がグレッグへのメッセージを読む事になっているんだよ」と言っていた。
グレッグさんの写真のステートメントは日本語にもなって写真展の頭に添えられている。
この写真のコレクションは一つの物語を構成する。フォトジャーナリストと言っても色々だと思う。 被写体がフォトジャーナリストに託す思い。写真からの声は、被写体の思いだけでは届かない。フォトジャーナリストの心の深層において、たえず「真実を伝えること」に対し最強の想いを以って、カメラを握り一瞬を切りとる。そんな写真から、私は被写体の声を聞く。上手いとか、下手とかの次元の話ではなく、そんな一瞬一瞬を見た真髄の写真だった。 journal+digital images=youme. |
| 6-27-2003
[アリに会いにアリへ]
ピセッが来てから数日が経った。もともとバッタンバン出身の彼なので+タイ語を習った事があるらしく、我々よりもタイ語がOKである。それに加えて放っておいても、自分で何でも出来るタイプの人なので、すでに自由に活動している。 近況としては、結局VCDを作る事にした(300バーツ)。これに音楽を乗せてもらったので、会場ではループして上映すれば良いという事になった。
アチェの話を聞いていたが、現在全くもって外国人がはいいる余地なし…の様で、最近連絡が途絶えていた友人たちの安否を尋ね、彼らが大丈夫だと言う事を確認できたのが良かった。 準備は着々と進行中である。 journal=youme. |
| 6-18-2003
[ネイティブサン]
最近少し曇り気味の様子。
昨日はカレン+ジェリー夫妻がカンボジア出発前だと家にやってきていた。これから最低でも2ヶ月カンボジア滞在をする二人。
近況としては、7月に合計で3人、カンボジアから友達が来る事になった。
彼からは数篇の詩が届いた。以下はそのうちの一つ。
This body is only temporary, 彼に会期中にバンコックに来れたらいいのに…とメールのやりとりの度に言っていたら、本当にやって来る事になった。
本日は写真展の件でミーティング。出来上がって来たというポストカードの束を頂く。
今日は展示写真のサンプルを1枚持って行って、展示の仕方を試してみた。目玉クリップをフックに付ける感じでいい具合だった。
後はギャラリーでスライドショーを見せる際に、どう媒体化するか?という課題が残っている。
今日は18日でマサさんの誕生日であった。最近はもっぱら節約の為に自炊続きだったが、今宵は外で食事となった。
painting=Chath
pierSath The Journey, 2001, oil and acrylic on paper, 52" x 48"
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| 6-12-2003
[バンコックに遊びにおいでよ]
兄弟の様な付き合いをしている友人ピセッにバンコックに遊びにおいでよ。としきりに誘っていた。
今回少なくても2週間。気に入ったら3週間いようかな?…と言っていて、彼らしいと思うのは、その間に何かパートタイムジョブがないだろうか?とメールに書いてあった事だった。
とまでは朝快調に書いていたのだが、他の用事が始まって手を止めたら、復活した現在午後10時過ぎに…はて?何を書くのだったか忘れてしまった。 現在はスライドショーの準備の為に、再度イメージのチェックとテキストを更に追加して順番を決める作業をしている状態。
バンコックに帰ってきてから、排気ガスにやられて喉がすっかり痛い。やっぱり、ここの空気は体に悪い。我が体は正直者なり。 夜は徹ちゃんがやって来た。今月末からはイラクへとご出発だそうだ。 夕飯を食べてから、再びスライドイメージ編集に取りかかったのであった。
jorunal=youme. |
6-9-2003
[あなたたちは大切な友だちを失いつつある]
カンボジアにいる間も、帰ってきてからも、そして今も…、なんだか日々バタバタです。
結局、ロール紙を1本使いきり2本弱使用させてもらい、途中インクを1本交換。尋ねると、その費用も半端なものではなく…。ありがとうございます。エプソンさん。 日々作業の傍ら、また来客ラッシュが続いていた今日この頃。
カンボジアにいる間に『今、バンコック』とアメリカ人カップルジャーナリスト、カレン+ジェリー夫妻からメールが来ていた。来る前には何も知らせてくれず、来てからのサプライズお知らせだった。
それでも、やっぱり何も出来ないのに納得が行かずにネットワークメンバーにメールを送った。
journal+digital images=youme. |
| 5-22-2003
[but we are working on it]
そんな訳で、いよいよ今晩からカンボジア。
昨日は朝一にActionaidのオフィスを訪ねて、デヴィッド氏にCDRを渡しに行った。
'I am not saying our society really accepts people living with HIV/AIDS with all their hearts. People are still being stigmatized by the community and by some relatives, but we are working on it.' Mary Musesengwa,
Voices and Choices, Zimbabwe
とquoteが収められていた。励みになった言葉であった。 journal=youme. |
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